戻り橋
大森彦七
建武3年(1336年)湊川(今の神戸市 生田区)の戦いに敗れた 朝廷軍の
楠木正成、正李兄弟はいずことなく落ち延びて行きます。
戦いに勝利した幕府軍 足利尊氏は正成、正李追討を伊予の国の住人で、
武勇に優れた大森彦七に命じます。生き残った家臣、郎党を引き連れて、
再起を謀る正成は、湊川北方の古寺に立て籠りますが、追討令を受けた大
森彦七に追いつかれ、降伏するようにうながされます。
正成は後醍醐天皇の臣として降伏は帝を裏切ることと同じであるとし、これを
拒否し、大森彦七との最後の合戦に臨みます。斬り合いの果てに、弟 正李
は討たれ、最後の力を振るう正成もついに力尽き自害して果てます。
矢取川
建武3年(1336年)湊川において 楠木正成を自尽に追い込んだのは、
伊予の国松崎の住人、大森彦七だった。その勲功に対し、足利尊氏は
広大な領地を与え、彦七は一躍、豪族の列に入るようになった。
ところが凡人の悲しさ、いわゆる成金根性で豪遊・猿楽などにうつつを
ぬかす日々を送っていた。
ある日、金蓮寺の春祭りに参加するため、金蓮寺へと向かった彦七は
途中の矢取川で道に迷ったと言う千早姫に出会い一緒に金蓮寺に向
かうことになる。
川に差し掛かり流れが早かったため 姫を背負って川を渡っていると、
急に重くなり、水面を見るとそこには鬼女の姿あった。千早姫の正体は、
かつて大森彦七が自尽に追い込んだ 楠木正成の怨霊であった。騒ぎ
に駆け付けた家来達は、とり殺されそうになる彦七を助け、大般若経の
教えをもって怨霊を調伏した。